【妄想歴史小説】ヤマザキ春のパンまつり:困難を乗り越える日本の未来【オールフィクション】

1970年代に根室半島地震伊豆半島地震宮城県沖地震の大規模地震で大きな被害を受けた日本では、1981年の建築基準法の改正で「震度6程度の大規模な地震で建物の倒壊や損傷を受けない」との基準が定められた。

しかし、地震大国日本ではひとたび大規模な地震が発生すると、建物家屋の耐震性が確保されたとしても、中の家具家財には大きな損害が出続けていた。

特に割れ物である食器の被害は大きく、生活の基本である食に必要不可欠な食器の棄損は、復興復旧の大きな障害であった。

 

 

終戦後の食糧難に悩まされていた日本では、アメリカから援助された小麦を国が支給し、委託された事業者がパンを作ることで食料の安定供給を図る国策が推進されていた。

1943年、飯島藤十郎が千葉県市川市で開業した山崎製パン所もその一つである。

 

 

戦後復興過程でのライフスタイルの洋風化と高度経済成長期を経て、山崎製パン所は山崎製パン株式会社としてその規模を拡大、1966年の東証一部上場後も成長を続け、1980年代初頭には全国各地に巨大パン工場を持つ国内最大手の製パン事業者となっていた。

そして、日本人の食生活を司る一翼にまで巨大化した山崎製パンにとって、国民が地震被害の度に食器を棄損する問題は、大企業の社会的責任として避けては通れない一大課題ともなっていた。

食器の耐久性を高めなければ、食糧難の時代を完全に克服したとは言えないのだ。

 

「フランスに強固な食器を製造するメーカーがある。この食器を日本国民に普及させれば、地震による被害を軽減できるのでは?」

これは、地震によって家中の食器が割れる中でも姪の結婚式の引き出物で貰ったフランス製食器だけが無事だった経験を持つ、ある中堅社員からの発案だった。

 

 

並みの企業であれば荒唐無稽と一蹴される案だ。しかし、万物の太陽の源、明るい太陽のように食卓の光となる願いを込めた「太陽マーク」を社章とする山崎製パンにとって、食卓に光を届けるのは社是。満場一致で全社プロジェクトとして取り組むことになった。

 

★ ★ ★

 

1825年に小さな家族経営のガラス工房として創業したヴェルリー・クリスタルリー・ダルク社(現アルク社)は第一次世界大戦後、経営者であるジョルジュ デュラン、ジャック親子の指導のもと、目覚ましい成長を遂げた。第二次世界大戦後には複数ブランドを展開し、一般家庭用から業務用、販促用までを扱う巨大メーカーへと成長していた。

 

ビョルン・ボルグがローラン・ギャロスで3年連続5度目の栄冠を手にした1980年6月、ヴェルリー・クリスタルリー・ダルク社に、極東の製パン会社から一通の手紙が届いた。

大規模な販促キャンペーンにダルク社のガラス食器を使いたいとの内容だった。

「フランスの血液はワイン、肉体はパン。これは第五共和制下でも続く普遍的真理だ。極東の島国でパンを作る会社が我々の食器を所望しているだと?」ダルク社の誰もがこの申し出をいぶしがった。

 

大統領選挙まで残り一年を切っていた。現職ヴァレリー大統領有利との下馬評もあるが、大の親日派で知られるミッテラン社会党第一書記との接戦も予想されている。大統領選挙の結果次第では、日本とのビジネスが活性化する可能性が高い。

 

「パンの国フランスから極東のパン会社に商品を提供しよう。ビジネスにもエスプリは欠かせないと言うではないか。ただし船便で地球を半周することを考えると、提供できるのはシンプルな形状で硬度の高い白色食器1種類のみだ」

ダルク社の決断は早かった。

 

★ ★ ★

このダルク社の即断に山崎製パン社内は沸きに沸いた。こんなにスムーズに交渉がまとまるとは!しかも、シンプルな形状で硬度の高い食器。我々が期待していた商品を提供してもらえるのだ!かくして、翌春の販促キャンペーンに合わせたダルク社製食器のプレゼント企画が具体化したのだ。

 

ここで一つの問題が生じた。キャンペーン名だ。

通例では「春の大セール」「お客様感謝セール」「プレゼント企画実施中」などの文言が用いられる。しかし、今回は単なる販促キャンペーンでは無い。フランスの食器を日本の家庭にあまねく広め、地震大国で暮らす国民の生活を向上させるものであり、社是、そして日本有数の食品企業としての社会的責任を果たすものだ。ありきたりな名称で済ませてはならない。

 

「もう食器を詰んだ船はニースを出航しているんだ。早く決めないと間に合わないぞ!」

怒号が飛び交う。されど妙案は出ず。時は無情。船は既にスエズ運河をも通過していた。

販促部を中心とした特任チームは、複数の広告代理店や多数のコピーライターをも巻き込み、連日連夜、喧々諤々の議論を続けていた。

「家にも帰らず24時間不眠不休でキャンペーン名と格闘しているんだけれど、1週間もこんな生活続けていたんじゃ気分がハイになってくるばかりで・・・もう祭りですよ。」

ある若手社員がつぶやいた。

 

「それだよ!それ!」

特任チーム内から誰ともなく一斉に声が上がった。

日本中に食器を配る。それもフランス製の硬質食器だ。こんな前代未聞の大それた仕掛けはもはや「祭り」と称する他が無い。「春の食パンまつり」後の「ヤマザキ春のパンまつり」誕生の瞬間である。

 

この時の若手がつぶやいた「24時間」「不眠不休」「格闘」というキーワードが、8年後の1988年、「24時間、戦えますか?」のフレーズに昇華されて国内を席巻したのはまた別の話。

 

★ ★ ★

 

1981年2月、国鉄車両がスチーム暖房によりその車窓を内側から曇らせる中、華々しく始まった「春の食パンまつり」。日常的に食するパンを買うだけで食器が貰えるというこの祭りは、多くの消費者から支持を集めることとなる。

祭りに加わらなかった一部の心無い輩から、どうせ安かろう悪かろうの三流食器だろうとの声が上がったこともあり、翌1982年には「フランスの香り白いお皿プレゼント」とフランスを前面に押し出したキャンペーン名に変更。この祭りの確かさを広く国民に知らしめた。

 

その後、「謝恩まつり」「白いお皿プレゼントキャンペーン」など一時的な名称変更があったものの、日本全国津々浦々に「ヤマザキ春のパンまつり」として認知され、2024年までに44回開催され、累計6億枚近くの食器が国民のもとへ届けられた。国民一人当たり4~5点の食器が春のパンまつり由来という驚異的な枚数である。

 

春のパンまつりが始まった1981年以降も多くの地震が発生し、家財、家屋のみならず、多くの人命も犠牲となっている。

被災者の多くは倒壊した家屋に呆然とし、家中の家具が散乱して途方に暮れる。

瓦礫の山の中から、先日まで何気なく繰り返していた平和な生活の残滓を探すかのように、まだ使えそうな生活用品を掘り出す。賽の河原で石を積むような暗澹とした作業の中、いつもの使い慣れた真白の皿が、まるで災害など無かったかのように傷もなく見つかる。

決して華々しい美談として報じられるような話でも無く、ただただ傷ついた人々の心にそっと小さな希望を灯すささやかな食器たち。

春のパンまつりは日本人には欠かせない心の祭りになったのである。

★ ★ ★

 

 

幾多にも襲い来る災害を乗り越えてきた春のパンまつりの白い皿。

日本国内では平和の象徴と言っても過言では無いものだが、紛争地帯ではその皿の持つ驚異的な耐久性が別の意味合いを持つことになる。

 

イエメン北部を基盤とするザイド派宗教運動アッ=シャバーブ・アル=ムウミンに源流を持つイスラムシーア派武装組織フーシ派は、同じシーア派の大国イランの国際的孤立傾向や周囲のスンニ派諸国からの軍事介入などにより、その過激な活動を一段と活性化させている。特に2021年に退任間際のドナルド・トランプ大統領によるテロ組織指定は、後のバイデン政権で即座に解除されたものの、フーシ派への大きな圧力として残り続けている。

2023年のパレスチナイスラエル戦争開戦後、フーシ派はイスラエルに関係する船舶への攻撃を表明。紅海上で船舶の拿捕や攻撃を開始し、国際物流網に大きな影響を与えた。

 

しかし、まだこの時点でフーシ派の最終目的を知るものは多くは無かった。

イスラエルが誇る世界最強のミサイル防衛システム「アイアンドーム」はハマスの飽和攻撃に突破された。今後、安価なドローンによる攻撃がドクトリン化されれば、これまでの軍事常識は一変するだろう。

 

この歴史の転換点に、限られた未来を見通せる者たちが見出したのが、飽和的鉄壁防衛網思想である。

今後どのように攻撃手段が進化したとしても、鉄壁かつ圧倒的な物量の防御網で絶対防衛を図るという思想である。

 

思えば、中国、北朝鮮、ロシアに囲まれながらも非核三原則を貫き、自衛隊の国軍化を頑なに拒む不思議の国、日本。

なぜ日本は覇権的軍事大国に隣接しながらも平和を維持できているのだろうか?

 

懸命なる読者諸兄は既にお分かりのことと思うが、まさにその答えが国内6億枚の「白い皿」なのである。

東日本大震災級のマグニチュード9.0はエネルギー換算で2エクサジュール。史上最大の核兵器であるツァーリ・ボンバが放出する総エネルギーですら210ペタジュールであることを考えると、細かい諸条件等の計算を抜きにしても、大震災にも耐え抜いた「白い皿」が天文学的に強固であることは理解に易い。

これが6億枚国内配備されているのである。国際緊張どこ吹く風。危機感の欠如した無意味な政治議論を続けるのも当然の話である。有史以来最も安全な国家なのだから。

 

さて、フーシ派に話を戻そう。紅海全域で船舶への攻撃を続ける本当の目的。それは地中海からスエズ運河を抜け、紅海経由で日本へ送られる「白い皿」の確保にある。

大量破壊兵器保有による国際地位の向上が容易では無いことは、イランや北朝鮮などの現状をみれば明らかであるが、絶対的防衛手段の保有によるそれはどうであろうか?圧倒的な力になることは、日本のきわめて楽天的な社会環境が雄弁に物語っているでは無いか。

フーシ派が白い皿を求めるのは歴史の必然なのだ。

 

当然、山崎製パンも平和の象徴である「白い皿」を武装勢力の手に渡す訳にはいかない。

普通であれば民間軍事会社の護衛等が対応策として真っ先に挙げられそうなものであるが、ここでとんでもないウルトラC級の手段を採ったのも、全国に白い皿を普及させた山崎製パンらしさといえばその通りである。

山崎製パンは「白い皿」の輸送ルートから紅海を外したのである。そう、19世紀半ばまで使われていた喜望峰ルート復活である。

 

働き方改革で個々人の労働環境が大きく改善されつつある現代社会に於いても、「法人だったら24時間戦えますよ!」の精神で3交代24時間体制のパン作りを続ける独自の山崎製パンメソッドを海上輸送に応用したその力にはただただ脱帽である。

おおよそ9000キロメートルの航路増加による10日間程の日数増加を吸収し、2024年の初便は予定通りに日本へ到着。

2便以降に若干の遅れが生じているものの、一部地域と店舗を除き、2024年も無事に「ヤマザキ春のパンまつり」が予定通りに開催されたのだ。

 

ヤマザキ春のパンまつりが続く限り、日本は幾多の困難も乗り越え、明るい未来を築いていくだろう。

 

 

 

という妄想100%なフィクション。